「…これは酷い…ってか、強盗でも入ったのか?」
ぐちゃぐちゃになった衣服が氾濫し、陶器が割れて破片が散っている。引き裂かれた掛け軸に、ボロボロになった畳。襖を縦横無尽に裂いた傷跡と刀の刺さった柱と無事なのは外に面した障子だけ。…こいつは外面と世間体を気にするからな…と、他人事のように思い部屋の真ん中、放心したように天井を見上げる日本をプロイセンは見下ろした。
「…ああ、師匠、…これはお見苦しいところを…」
日本の虚ろな瞳がきょろりと動く。どうやら、嵐も過ぎた後らしい。
「…見苦しいってか、荒れてんな」
酷い惨状の部屋を見回して、プロイセンは小さく息を吐いた。
「…最近、ちょっとまぁ、色々、溜まることがありまして」
「ゲンコウとやらが進んでねぇのか?」
「…まあ、そんなところです」
言葉を濁すように乱れた髪を直した日本は小さく息を吐いた。
「…ま、現役には色々あるわな。…ってか、これヴェストから」
しゃがみ込んだプロイセンは甘い香りのする箱と茶封筒を差し出した。
「仕事とヴェストが焼いたクーヘン。取り合えず、茶にしようぜ。部屋、片付けんの後で手伝ってやるからよ」
「…痛みいります。…でも、師匠、タイミング、悪すぎです」
がっと腕を掴み、引き寄せられプロイセンは目を見開く。ざらついた畳の感触に赤い目を開いて、跨って来た日本を見上げた。
「…何、スイッチ入ってんだよ?」
嵐は過ぎた訳ではなく、まだ燻っていたようだ。咎めるでもなく、そう言えば日本は目を細めた。
「…二、三日前から入り放しです。この有様に驚いて、鍵を掛けたにも関わらず馬鹿力で侵入して来られたアメリカさん、イギリスさんはすぐに帰られましたよ。…この惨状を見て、師匠はヤバイって思わなかったんですか」
「…ヤバいって思ったけど、放っておけないだろう。知らねぇ仲じゃねぇし?」
既にネクタイに掛かった指先を見ながら、プロイセンは口を開く。それに日本は口端を引き上げた。
「…やさしいですね」
「バーカ、これがお前じゃなきゃ放っておくに決まってんだろうが」
仮にも恋人のこの惨状に逃げ出すようなヤワな神経はしていない。図太くなりすぎた神経は色んなものを麻痺させる。プロイセンはやつれて顔色の悪くなった日本の頬を撫でた。その手を日本は掴む。
「…酷くしても?」
じっと見つめる昏い瞳にプロイセンは口端を上げた。
「いいぜ。この部屋以上に酷く出来るってんなら、やってみろよ」
底知れない昏い瞳が嗤い、ぎっとネクタイで手首を縛る。縛られた手首の痛みに僅かに眉を寄せ、プロイセンは体の力を抜いた。
何度、達したか、イかされたか解らない。浮上した意識に任せるがまま、身じろぐ。手首を拘束していたネクタイは緩んでいて、それを外して、プロイセンは体を起こした。その瞬間、ぬるりと腿を滑ったものに目をやれば鮮血混じりの白濁が畳を汚した。
「…尻、痛ぇ」
顔を顰めてみるものの、許したのは自分だ。溜息ひとつで遣る瀬無さを逃がして、プロイセンは部屋を見回す。部屋は相変わらずの惨状。穏やかで温厚な日本が前に一度こうなったのを見たのはもう七十年も前になろうか。
(…ったく、溜め込まず小出しに発散すりゃあいいのによ)
床の間に飾られていた、フランスが涎を流して欲しがっていたナントカとか言う高名な絵師の掛け軸は再起不能。高価な壷も真っ二つだ。部屋ひとつ駄目にして、晴れなかった鬱憤は自分を抱くことで果たして、晴れたのか。そう思いながら、日本が引っ掛けていた着物を引き寄せ、纏う。霜降の時期だ。汗も引き、日が沈めば体が冷える。くしゃみひとつすれば、襖が開いた。
「…気がつかれましたか?」
手桶と手ぬぐいを手に戻った来た日本は後ろ手に襖を閉めた。
「…おう。お前にちょっと酷くされたぐらいで、堪えるヤワな体はしてねぇよ。…ってか、顔色、大分、マシになったな」
「…お陰さまで。…色々、すみません」
「謝るなっての。合意だっただろーが」
恋人同士だ。何を遠慮することがある。今更な謝意にそう返して、体を拭かれるがままに任せながら、プロイセンは日本の頬を撫でた。
「…そうですけど、何だか八つ当たりをしてしまったようで」
「別にいいっての。でもまあ、偶には愚痴とか、嫌なことがあったら吐き出せ。俺なら、言えないことも言えるだろ?」
自分は既に亡国。国と言うシステムから弾き出された国かひとかも解らぬあやふやな存在だ。何を言い、何をしても被る利害など何ひとつ無い。
「…あなたには、本当に見っとも無いところばかり見られてばかりですね。…少しはいいところも見せたいのですけれど。これ以上、醜態を晒して、あなたに愛想を尽かされたら、私はもう生きてはいけません」
ぽつりと吐息と一緒に吐き出された言葉にプロイセンはこつんと額を日本にぶつけた。
「見っとも無いところもひっくるめて、お前のこと好きなんだからいいじゃねぇか。いいところみせた時には頭撫でて、褒めてやるし、疲れたときにはぎゅっとしてやるよ」
それに日本は「敵いませんねぇ」と苦笑を浮かべ、そっとプロイセンの背に腕を回した。
「…ぎゅっとしてくださいますか?」
好きなだけ甘えて、我儘を言えばいいと思う。壊れ物に触れるように抱かなくても、今日みたいに酷く抱いてくれたって、壊れたりしない。別にやさしくして欲しい訳でもない。ただ、求められたい。それだけが、あやふやな自分の存在をこの世界に定着させるのだ。日本の自分への執着は酷く居心地が良すぎて、やさしくされると不安になる。
「いくらでも。望むだけしてやるよ」
プロイセンは日本の一回り小柄な体を引き寄せる。ただ、それだけのことなのだが、まぐわうのもこうやって抱きしめるのも、赴きこそ違うものの本質はきっと同じなのだ。
(…俺、コイツに思った以上に依存してんなぁ…)
心の中で呟いて、プロイセンは日本の髪をそっと撫でた。
おわり