プロイセンが好んで履くのは膝下までの長靴。馴染みの靴屋で作らせた靴底には鉛を仕込んだ特注品で鋲に靴紐を引っ掛ける履くのも脱ぐのも面倒な代物で、その靴を彩る赤い靴紐もわざわざどこかで作らせた物らしい。
日頃は質素倹約を良しとし、家の中では着古した服を着ていることも多いが、軍務に着くときのプロイセンは軍から支給された軍服の下に着るシャツだけはオーダーメイドで生地を選び仕立ての良いものを着る。糊の効いたシャツでなければ身が締まらないと言う。妙な拘りを持っていて、それが様になって一際、美しく見える。
きっちりと首を隠し、袖の釦を留める。ネクタイを結び、鉄十字を身に付ける。きっちりとした上半身とは裏腹に靴を引っ掛けただけのだらしない足元。ソファに腰を下ろし、靴紐に指を掛けたプロイセンはドイツの視線に気付き顔を上げた。
「…何、見てんだよ?」
「…別に」
「…あっそ」
鋲に紐を掛けていく手馴れた仕草は見惚れるほど。きゅっと調整の為に締めた紐が曲線を描く脹脛のラインを鮮明に描く。それに喉が鳴るのをドイツは押さえて、視線を逸らした。どうにもこうにも、家をそろそろ出なければならないのにその仕草に気が散って仕方がない。
「…指が悴んで、上手く結べねぇな」
白い指先が珍しくもたつくのを目の端に捉える。赤が上がる。
「お前さ、イタリアちゃんの靴紐、良く結んでやってるんだろ?俺のもやってくれよ」
白い指先は仕事を放棄し、赤がこちらを見つめ小さく笑う。それを見やり、ドイツはプロイセンの足元に膝を着いた。何も言わずに右足の靴紐を結ぶ。そして左足の靴紐を鋲に掛けていく。淡々と何事もないように作業をこなしながら、沸点が低くなっていくのを感じる。この赤い靴紐で鬱血するほどに手首を縛って、隙無く着こなされた軍服を引き裂いて、這い蹲らせて犯してやりたい。脳裏で繰り広げられる光景と、この静かな他愛も無い騒がしいイタリア相手にいつもやっている靴紐を結ぶという行為の差に、ざわめき波立つような衝動をやり過ごす。この脚に頬ずりし、革に包まれた趾先に歯を立ててやりたい。…この兄にだけ、不埒で薄汚れたどうしようもないやり場の無い欲望を感じる。それにプロイセンは本当は気付いているのではないだろうか?…試すような、こちらの思惟を探るように気まぐれに罠を仕掛けてくる。こちらのギリギリの境界を測るように。
「…出来たぞ」
「ダンケ。上手だな」
隙などちらりとも見せない。難攻不落。どこから攻略すれば、堕ちてくるのか。…プロイセンは立ち上がり、血の気の引いた指先に黒革の手袋を嵌め黒いコートを羽織り、制帽を目深に被り、ドイツを振り返った。
「…俺の脚がそんなに好きか?」
薄く笑んだ口元。見透かされている。ドイツは冷めた視線を返す。
「…ああ」
その脚を掴んで、思う存分舐め回して薄く肉のついた腿に血が出るほどに歯を立てて、痛みに歪められる顔が、見つめる赤が濡れるのを、絶望に見開くのを見たい。暴かれ、晒され、高慢な矜持をプロイセンがプロイセンたる彼を支えるもの全てをこの手で壊せば、この兄は自分だけのものになるのだろうか。
「…このムッツリが。…前線から帰ってこれたら、好きなだけ触らせてやるよ。それまで、お預けだ」
黒革の指先が悪戯にドイツの唇を撫でる。その指を掴めば、赤が細められる。
「…帰ってくる気なんか、ないクセに」
死に場所を求めて流離って、自ら危険な場所へと赴く。それを止める手立てなどない。泣いて叫んで、「行かないで欲しい」と懇願したって、「愛してる」と言ったって、プロイセンを引き止めることなど出来やしない。
「…あるさ。お前が本当に俺を…」
口付けに言葉は殺される。
「……しているなら、俺はお前の元に帰ってくるさ」
互いの合わせられた口の中へと殺された言葉が息を吹き返すことは無い。知ることは出来ない。踵を返し、出て行った背中を、遠ざかっていく足音を、ただ見送る。
「…圧し折ってしまえば、良かった」
遠くに、俺を置いていこうとする何にも縛られることの無いその足を。そうすれば、あなたはどこにもいくことなど出来やしない。風切羽のようなその脚の腱を切ってしまえば良かった。
出来もしないことを思う。
ドイツは自分の唇を撫でる。冷たい唇の感触が僅かに残る。その名残も消えて、冷たく血が凍える。ドイツは目を閉じ、残香のように残るプロイセンの気配を振り切るように部屋を後にした。