冬故

ハグとキスの文明開化

 

 

 

 

　いつものように日配品の補充と次の商品の発注書を書きつつ、店長が仮眠を取るためいなくなったのでひとり、まったりと仕事に励んでいると来客を知らせるチャイムが鳴った。「いらっしゃいませ」と顔を上げれば、本田さんとうさぎさん。うさぎさんは俺を見ると有無を言わさずハグを仕掛けてくるようになったので、思わず身構えるとうさぎさんは唇を尖らせ、俺を睨んだ。

 

「ハグぐらいいいじゃん。ケチ！」

 

「ケチじゃありません。何で、ハグしたがるんですか？」

野郎をぎゅっとして何が楽しいのだ。伸びてきた手を手にしていたバインダーで阻むと、うさぎさんは「チェチェー」と抗議してくる。…アンタは子どもか。

「親しい奴にはハグするもんだろ。いいいじゃねぇか。お前、トモダチだろ」

友達だと言ってくれるのは嬉しいが、親しき仲にも礼儀あり。…ってか、ハグ文化ないのに強要されても困る。

「日本にはそんな文化ないんで、口頭の挨拶だけでお願いします」

「ウチはハグが最上級の親愛表現で挨拶だっての。ロシア式のイヴァンの挨拶よりはマシだろーが」

「ロシア式？」

イヴァンと言う名前には聞き覚えがある。確か以前にうさぎさんが連れてきた何かニコニコととても楽しそうな顔をした大柄なロシア人だ。そのひとの横でうさぎさんは青褪めた顔をして、意味不明に「睫毛が…」とかブツブツ言ってた。あのひとそう言えば何で、水道の蛇口をステッキみたいにしてたんだろう？

「ロシア式はすげーぞ。男同士でも、熱烈にぶちゅーっとやるからな」

見ぶり手振りでうさぎさんがやって見せる。そういや、ベルリンの壁にホーネッカーとブレジネフがぶちゅとやってる絵を何かで見たな。

「そうなんですか？」

本田さんと俺が哀れみを込めた視線を向けると、思い出したのか、うさぎさんはげっそりとした顔をしている。

「うん。…男同士でもお構いなくやるからな」

遠い目をしてうさぎさんが答える。どうやら、思い切りされたことがあるらしい。傷口を抉るのもアレなので深く突っ込むのは止めて置くことにした。そして、本田さんが目を輝かせ「イヴァギルktkr！！」と小声で呟いたのを俺は聴かなかったことにした。…空気が微妙になってきたので、さり気なく、話題を変えよう。
 

「…あ、そうだ。キイロイトリプレート来ましたよ」

先日、リラックマキャンペーンのシールの台紙をコンプリートしたものを持ってきてくれたのだが、景品の在庫が品切れで、入荷待ちだったのだ。

「おう！俺の小鳥が来たか！」

俺の小鳥って…、確かにうさぎさんの頭の上に鎮座してる黄色い小鳥はまんまキイロイトリだけど。

「この前のくじでコリラックマのぬいぐるみ当たったじゃん。ヴェストがすげぇ喜んでよ。ベッドサイドに飾ってるぜ。次はリラックマのぬいぐるみゲットするぜ！」

ムキムキさん、コリラックマ、ベッドサイドに飾ってるのか…すげぇ、ギャップを感じるんだが、前より違和感感じないのは何でだろうな…。可愛いもの好きの厳ついドイツ人萌か。本田さんを見やると俺と同じ気持らしく微笑ましい顔をしてニコニコしていた。
 

　そんなこんなで、深夜のコンビニ、お客もいないのでくだらない会話に付き合いつつ、新商品のスイーツをうさぎさんに勧め、レジを打つ。
 

「話、ちょっと戻るんですけど、挨拶って普通、握手からしません？」

「握手すんのは初対面同士とか、まあ契約締結のときとかだな。友人や家族にはハグや、頬へのキスが多いな」

「そうなんですか？」

「初対面とか面識あっても嫌なやつとかとハグしたくねぇだろ。握手もそもそも「俺は武器を持ってない、敵意はない」ってことを表すために始まったらしいしな」

「へぇ」

「今では握手も各国常識みたいでも、百年ちょい前のお前んとこにはそんな習慣なくて、握手で手を差し出しても、不思議そうな顔してたな」

「手を握るなんて、男女の間でこっそりやるか、子どもがはぐれないようにするくらいでしたから。いきなり握られ、ブンブン振り回された時には拐かされるのかと思いましたよ」

本田さんが言う。

「拐かすってなぁ…、まあ、あの当時の情勢考えれば拐かされてもおかしくなかったけど、お前、簡単に拐かされるタマじゃねぇだろ」

ちろりとうさぎさんが本田さんを見やる。本田さんは答えず、くすりと笑った。

「こいつ、酷いんだぜ！大分、仲良くなって来し、慣れただろうと思って、ハグしたら投げ飛ばしやがって、挙句、「責任取ってください！」とか言い始めるしよー」

それにムっとしたのか、口を尖らせうさぎさんが言う。…ヒドいのはいきなり抱きついたうさぎさんじゃないのか？

「挨拶だって知らなかったんですよ、そのときは。ウチには男色と言う文化もありましたし、手篭めにされるのかと…」

バツの悪そうな顔で本田さんがうさぎさんを睨んだ。

「するか！」

睨み返して、うさぎさんは溜息を吐いた。

「それから、本田にはハグしねぇって決めた。また、投げ飛ばされたくねぇし」

「もう、投げ飛ばしたりはしませんけど、老体には堪えますので御遠慮申し上げます」

「何が、老体だ？三日貫徹しても、ケロッとしてやがるクセに」

「今はいい栄養ドリンクがありますからねぇ…」

このふたり、本当に面白い。うさぎさんは時々、本田さんに対して偉そうで、本田さんもそれを許してて、でも、普段はお爺ちゃん（本田さん）孫（うさぎさん）な感じで、本田さんがうさぎさんを窘めて、素直にうさぎさんが訊くこともある。

「仲、いいですよね。おふたり」

俺が口を開けば、うさぎさんと本田さんは顔を見合わせ、微笑った。

「短いようで長いつきあいですからね。憲法を制定する際は大変、お世話になりましたし」

「おう、世話してやったぜ！…ってか、まあ、暇だったからな」

明治憲法はドイツ帝国（プロイセン）の憲法を基にして作られたと習った。何か今は存在しない国で、遠い国なのにプロイセンと言う名前はドイツの名前を隠れ蓑に日本の中で名前が出てくる。戊辰戦争の際、会津・庄内両藩が薩長に対抗するためにプロイセンに提携を求め、見返りに蝦夷（北海道）の譲渡を持ちかけていた話とか（これはビスマルクが蹴ったらしい。もしかしたら、北海道がうさぎさん領だったのかもしれないと思うと変な感じ）、同じく蝦夷で果樹園作ろうとしたりとか。さくらんぼを日本に広めたのはとうさぎさんとこのひとだったらしい。探せばもっとうさぎさん絡みの話が出てきそうだ。

 

 

 

 

　一時間ほど、だべっていただろうか。入店してきた客に、「またな！」とうさぎさんが手を上げ、本田さんが軽く会釈する。それを俺は「またの御来店、お待ちしております」と見送った。

 

 

 

 

　うーん、文化の違いと意外と身近にある歴史は中々に奥深いなと思った俺だった。