「痴話喧嘩は他所でやれ」
骨董品屋で購入した箱に入っていた人形が、実は「淫魔」だった。
…まあ、色々遭って、淫魔のギルベルトと暮らし始めた訳だが、思いの外、同居と言うか、共生は、上手くいっている。ギルベルトは掃除も料理も完璧。いつもはデリで買って済ます寂しいパサパサの冷たい夕食がほかほかの家庭料理と言うのは有難い限りで、足の踏み場もなく散らかっていき、週末に掃除に励まなければいけなくなる部屋もきれいに保たれ整理整頓されて、淫魔様、ギルベルト様々だ。…まあ、色々と妥協の末ではあるけれど。
「ただいま」
「おう、おかえり!メシ?フロ?それとも、俺にするか?」
にっこりと笑って出迎えてくれるのは嬉しいが、そのセリフは何だ?…隙あらば、そっちに持って行こうとするギルベルトを躱すのに、スルースキルが日々、研鑽されていく。俺は溜息を一つ吐き、「メシ」と答える。
「ここは普通、「お前」って言うとこだろ?」
「お前がスゲー、可愛い女の子だったら言えるんだけどな」
「付いてるもんはしょうがねぇだろ?…まあ、いいや。取り敢えず、ハグさせろ」
スキンシップは譲らねぇと襲わない代わりの条件で、渋々、その条件を俺は飲んだ。軽めのハグだが、自分の意とは反して体がくらりとくる。何か誘うようなフェロモンでも出てるのか、ギルベルトから下半身を刺激するような甘い匂いがするのだ。それを息を止めて、数秒堪える。最近、耐性が出来たか前よりはマシになった。慣れる前は何度かトイレに駆け込むハメになり、トイレから戻ってくる度にギルベルトに「言えば抜いてやるのによー」とニヨニヨ顔で言われたが、そればかりは御免被りたい。
「…お前、今日、誰かに声を掛けられなかったか?」
首筋に鼻を埋められ、スンスン、俺の匂いを嗅いでいたギルベルトが険しい顔をして、俺を見る。その顔は初めて見る表情で訝しく思って、眉を寄せた。
「…何で?」
「獣の匂いがする」
「獣?…動物とは戯れてないぞ?」
「犬、猫の匂いじゃねぇよ。…この匂い、どっかで嗅いだような…?」
スンスン、また匂いを嗅ごうとするギルベルトをぐいっと押しのける。下半身が危機だ。
「もー、いいだろ。早く、メシにしようぜ。腹減った!メシ、何?」
ぐいっと押しやられたギルベルトは不服げにぶすりと膨れたが、気を取り直したのか、
「今日の夕飯は蒸かした芋と俺特製グーラーシュ、ビールにデザートはアプフェルシュトゥルーデル♪」
歌うようにメニューを読み上げ、キッチンに入っていくのを、ほっとして俺は見送った。
次の日は休日だった。
休日はべったりとギルベルトが張り付いてきてウザいことこの上ないが、ウザがられているのを察知してか子どもの形でぺたっとしてくるので、邪険に出来ずに困る。この淫魔、かなりあざとい。
午前中はまったりと買ったはいいが放置していたDVDを観ることに、コーヒーを淹れて、昨日のデザート残りのアプフェルシュトゥルーデルを小皿にソファに凭れると、ブランケットを手にいそいそとギルベルトはやって来て、俺の太腿に唇を押し付け、三日に一度の食事な俺の精気を吸って、キャットニップに酔った猫のごとくとろんと溶け、額をぐりぐりした後、俺の膝を枕にソファにごろりと転がり、懐いてきた。
「…引っ付き魔」
この淫魔、本当にスキンシップが大好きだ。
「いいじゃん。減るもんじゃなしよー。…ってか、人間の生活は俺が寝てる間に随分、変わったよなー」
「…ま、二百年前とは違うかもな」
そんな話をしながら、DVDをダラダラ、二人で観ているとインターホンが鳴った。
「なんだよ、いいとこなのに。客か?」
「解らない。通販とか頼んでないし、田舎の両親が何か送ってきたのかな?」
リモコンで一時停止し、不機嫌そうに唇を尖らせたギルベルトの頭をどかして、玄関に向かう。ドアを開けば、そこには金髪碧眼の美丈夫なスーツに身を固めた、何処かで会ったようなムキムキな青年。…そう言えば、昨日、この青年と擦れ違った。視線を感じて振り返った時に、目が合ったのだ。急いでいたので、凝視されているのに気がついても何も言えずに、そのまま去ったのだが、はて、この青年、俺に何用だ?
「…ヴァルド・アイフシュテットさん?」
「そうですが、何か?」
何故、俺の名前を見ず知らずの青年が知っているのか?薄氷のような青にぞくりと何故だか背筋が震える。本能がコイツはヤバイヤツだと警鐘を鳴らし始めるが、まだ危害を加えられたわけではない。奥には淫魔だけどギルベルトもいるし、一応、俺は主人で契約上、外敵から守るという契約も含まれているようだし、ヤバくなったら何とかしてくれるだろうと…と、俺は足を踏ん張った。
「三ヶ月前、あなたが購入した人形を私に譲って頂きたい」
唐突に切りだされた言葉に、俺は言葉も無く押し黙る。青年の青い目がキラリと光った。
「ここに、二万ユーロある。人形を私に譲って貰えないだろうか?」
購入金額の四倍の金額に、自然と眉間に皺が寄る。この青年はギルベルトが淫魔だと言うことを知って、そう持ちかけているのではないか。…だとしたら、どれだけ金を積まれようが、俺は頷けない。
「…申し訳ありませんが、気に入って飾っておりますので、お譲り出来ません。お引き取りください」
「…いくらなら譲って頂けるのかな?金なら、いくらでも出す」
「お金を積まれても売るつもりはありません。失礼します」
ドアを問答無用に閉めようとするが遅かった。ガッとドアの蝶番が壊れ、螺子が廊下を転がって行くのを、俺は目の端に捉えた。
「…手荒なマネはしたくなかったが、仕方がないな…」
青年の手が俺へと伸びる。その刹那、バッと青年と俺の間に何かが滑り込んだ。
「オイ、コラ、テメェ、誰の許可得て、俺の主人に手ェ出そうとしてんだ、あァ?」
赤を怒らせたギルベルトが青年の手を捻り上げ、ドスを利かせた声で恫喝する。それにちょっとホッとする。助かった。
「兄さん!やっぱり、兄さんだった!!」
ギルベルトに腕を掴まれ凄まれた青年の剣呑な表情がいきなり緩む。それに俺とギルベルトは面食らい、ギルベルトは毒を抜かれたように険しい表情を緩めた。
「…兄さんって、誰?」
「知らね」
俺がこそりとギルベルトに尋ねれば、ギルベルトは首を振る。それに目の前の青年が青を潤ませた。
「酷い!兄さん、俺を忘れたのか!?」
それに困惑したような顔をギルベルトはする。
「…お前の知り合いじゃないの?」
「こんな、ムキムキで獣臭ぇ、知り合いいねぇ…、ん? お前、もしかして、ルートヴィッヒか?」
知らないと言ったクセに、やっぱり、お前の知り合いじゃねぇか。…突っ込む間もなく、青年がギルベルトを抱きしめるのが早かった。ギルベルトの悲鳴が上がる。
「兄さん、会いたかった!!」
「ぬあああっ!!…苦しい!!死ぬ、離せ、この馬鹿力!!」
午前中はゆっくりして、午後になったら散歩がてらドックラン行って、他人様の可愛いいわんこを見て、マーケットに買い物に行こうと思ってたんだけどな~。目の前の惨劇からの現実逃避を試みるが、休日は無くなりそうだ。
…ドア、自分で直せるかな?大家に見つかったら、追い出されるかもな…。
子どものように泣く青年に抱き締められ、喚くギルベルトがいる現実に溜息が漏れた。
青年の名は「ルートヴィッヒ」。ギルベルトの「弟」だと言う。弟ってことは、この青年も「淫魔」か。こんなムキムキの淫魔って需要あんのかとアホなことを思っていたら、ルートヴィッヒは「人狼」だと言う。種族違うのに「弟」っておかしくないかと突っ込めば、群れと逸れて迷い子になっていたのをギルベルトが「餌」ぐらいにはなるだろうと拾って、面倒見始めたらしい。
「…お前、頑是なき幼子を餌ってな」
「餌にはしてねぇよ。小さいの食ったら、すぐ死んじまうだろ」
「俺は兄さんになら食われても構わなかったぞ」
「お前は黙ってろ」
ギルベルトに冷たい眼差しを向けられ、ルートヴィッヒはしゅんと項垂れる。…食ったら死ぬって、この前、言ったことと矛盾してないかと言えば、容量の違いだと言われた。大人だとちょっとで済むのが、子どもだと容量が小さいせいでちょっとでは済まないらしい。…その説明に取り敢えずは納得して、俺はルートヴィッヒを見やった。
「…ルートヴィッヒはギルベルトを連れ戻しに来たのか?」
「そうだ」
それにルートヴィッヒが頷く。それにフンっとギルベルトが鼻を鳴らした。
「俺、コイツと契約してるから、帰らねぇよ。帰るなら、お前、一人で帰りやがれ!」
「嫌だ。兄さんと一緒でなければ帰らない!大体、兄さんは勝手過ぎる。いきなりいなくなって、俺がどれだけ心配して、兄さんを探したか」
「探してくれなんて、頼んでねぇ!…ってか、お前が居た群れが見つかったって喜んでたじゃねぇか!さっさと、群れに帰ればいいだろ!!」
「群れが見つかったのは嬉しかったが、俺はあなたの傍を離れるつもりはない。あなたが好きなんだ!」
「ハ、お前のそれは勘違いだ。俺のフェロモンに当てられただけだろ」
「違う!」
「違わねぇ!」
…何、この蚊帳の外ぷり、何、このホモの痴話喧嘩…。…どっか、他所でやってくれないかなぁと(実際)他人事のように俺はふたりを見やる。
「餌が必要なら、俺を食ってくれればいい。兄さん、魔界に帰ろう」
「帰らない!お前なんか、獣臭くて食えたモンじゃねぇ。俺はグルメなんだよ」
「なら、何で、俺を拾って育ててくれたんだ?」
「んなもん、ただの気まぐれだ!…ってか、今、俺、コイツのモンだから、帰れないから、そういうことだから、さっさと坊ちゃんとこ帰れ!」
これ見よがしにギルベルトが俺にしなだれ、抱きついてくる。それに物凄い殺意を込めた視線を向けられ、心臓が縮む。
「…こんなすぐ死んでしまう人間の何がいいんだ?所詮、餌だろう?」
「餌、餌、言うな。俺はコイツを気に入って、契約してんだ!」
…主人とは名ばかり、やっぱり俺は餌って言うか、生きた食料だったんだな。…解ってはいたが、地味にダメージがデカい。
「…その人間が居なくなれば、兄さんは帰って来るんだな?」
そのダメージに更にダメージを加えるような、シャキンと伸びたルートヴィッヒの長い爪に目眩を覚える。…俺、この兄弟の痴話喧嘩に巻き込まれ殺される?…余りの理不尽に涙が出そうだ。
「ア、俺のモンに手出そうってか?…いい度胸、してぇんじゃねぇか、ルートヴィッヒ」
陰惨な笑みを浮かべギルベルトがルートヴィッヒを睨む。睨まれたルートヴィッヒは顎を引いたものの引くつもりはないらしい。…ってか、部屋ん中で暴れられたら、職場にも近くて、立地も間取りも家賃も気にいっているこの部屋に住めなくなる。それは困る。俺は息を吸い、履いていたスリッパを握りしめ、ギルベルトとルートヴィッヒの頭を叩いた。スパコーンとそれはいい音が二回鳴り響いた。
「お前ら、五月蝿い!黙れ、それ以上、暴れるんだったら二人とも叩きだすぞ!!…ってか、ギルベルト、腹減った、メシ作れ。そのメシ食ったら、アンタは帰れ。頭冷やして、出直して来い。いいな?」
俺にスリッパで殴られるとは思ってもいなかったらしく、呆気にとられたふたりは大人しくなった。…ヤレヤレだ。
ルートヴィッヒは元は礼儀正しい青年だったらしく、非礼を詫びて、後日、また来ると行って帰っていった。
「…はあ、面倒臭ェことになったな」
「面倒くさいじゃないだろう。お前の不始末が原因みたいじゃないか」
夜になり、自棄酒だとビールを手に続きのDVDを漸く起動させていると、どすりと膝の上にギルベルトがダイブしてきた。それに俺は顔を顰め、休日を潰された恨みを込めてチクリと言う。ギルベルトは「あ~」と息を吐いた。
「…俺にとって、アイツはなんつーか、最初は餌のつもりだったけどよ、一緒にいるうちに家族って言うか、弟みたいになったんだよ。だから、そう言う気も起きないし、餌って認識はなくなった訳な」
「…それで?」
「なのに、アイツ、俺を家族じゃなくて好きだとか、愛してるとか言うし、人間の精気食うのやめろとか言うし、食うの止めたら、俺にとっちゃ死活問題だっつーの。俺のやることなす事口出すようになって、ウザいから、召喚されたのをいいことにこっちに逃げてきたんだよ」
「…それだけじゃないだろう?」
突っ込めば、ギルベルトは溜息を吐いた。
「…んな時、アイツが元居た群れが見つかったんだ。人狼は基本、親族で構成された群れで行動する種族なんだ。俺が居なくなれば、群れに戻りやすくなるんじゃねぇかと、思ってよ。淫魔と一緒に居る事自体、世間体も良くねぇし」
「ルートヴィッヒのために身を引いたと?」
「違う。気持ち悪い言い方すんな」
ぶすくれた子どものギルベルトの頬を突く。ぷすーと息が漏れた。
「…ま、帰りたければ帰ればいいし、俺の所に居たかったら居てもいいけど」
一緒に暮らすうちに、少しは情も湧いてそう言えば、ギルベルトは俺の膝を噛んだ。
「前にも言ったけどよ、契約は俺が祓われるか、お前が死ぬまで有効。後、箱、ブッ壊せば契約自体なかったことに出来るけど、あの箱は俺を召喚した親父が作った形見みたいなモンだから、壊すってのは、なし、な」
親父とは何者だと聞きたかったが、訊いてはいけないような気がして黙る。
「…ってか、ルッツ、スゲー可愛かったんだぜ?天使みたいに可愛くて美味そうで、俺がどれだけ食うのを我慢してたか…。…それが、何をどーすれば、あんなムキムキマッチョになってんだよ?先はマジで解らんかったわ!!」
うおー!と頭を抱え込むギルベルトに、俺は溜息を返す。
神様、これ以上、面倒くさいことが起こりませんように!!
俺はひっそりと神に祈った。…だが、日頃、不信心している俺に神様の御加護はなかった。
「今日から、俺もここに住まわせてもらう。これは家賃だと思って受け取ってくれ」
ニコニコ、俺、イイことを思いついた!的な爽快な笑顔のルートヴィッヒに分厚い封筒を手渡され、目眩がする。俺の隣ではギルベルトが「帰れー!!」と発狂している。これ以上、魔物が増えないよう俺は不信心を反省し、真面目に日曜日の教会のミサに通おうと心に決めたのだった。
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